東白川村のむらづくり
「はな」の舞う舞台
幕が開き演技が佳境に入ると、客席から「はな」(祝儀のおひねり)がバラバラと投げ込まれた。舞台上手では浄瑠璃義太夫の語りが熱気を帯び、本舞台には松王丸が御台様と女房千代、一子小太郎と共に立ち並んでいる。『増補菅原天神記』「松王下屋敷の場」の見せ場であった。
満員の桟敷席では、村人が折り詰めを開けビールを飲みながら、ゆったりと観ている。知人が演じると掛け声をかけ、カメラのフラッシュを遠慮なく光らせる。子どもたちも、舞台際に駆け寄り、小太郎役の同級生めがけて幾十もの「はな」を投げた。新劇のように行儀の良い観客ではないが、あまり邪魔にならない。客席と舞台には一体感があり、集中力が途切れないのである。たくさんの「はな」が投げこまれるたび、客席から「オーッ」というどよめきがおこった。
9月18日、東白川村(岐阜県)では「郷土歌舞伎公演」がはなのき会館で開催されていた。村人が歌舞伎保存会を結成し、自ら出演する手作りの公演である。戦争によって一時途絶えたものの戦後に復活、今年で29回目となる。かつては村を構成する3地区すべてに芝居小屋があったというから、東白川村の人々の芝居好きには歴史がある。
観劇は無料。正午から始まり、夕刻までに5つの狂言が組まれていた。一番手の『増補菅原天神記』が終演した幕間に、関係者の挨拶があり、安江啓次村長が舞台に立った。一通りの挨拶の後、安江村長はひとつの発表をした。
「来年は郷土歌舞伎公演の30周年ですので、境谷産論事件を題材に私が脚本化した郷土の時代劇『美濃の山論』を上演したいと考えております」
「境谷山論事件」とは、村人の誰もが知っている享保年間に村内で発生した悲劇である。入会地を囲い込もうとする庄屋や大寒に立ち向かい、江戸に居る藩主に直訴を企てた結果、村人二人が境谷で打ち首になる。しかし、入会地紛争(山論)の場合、幕府は評定所による採決・調停を制度化しており、明らかに死罪は不当であった。『美濃の山論』の冒頭には「封建時代の圧制にあえぐ、農民の生きていくための、ぎりぎりの戦い・争い」と記されている。
安江さんは青年時代、岐阜の演劇集団「劇団はぐるま」の準会員となり、演出家のこばやしひろしから教えを受けた。戦後、東白川村の青年達は、3ヶ所の芝居小屋を拠点に安江脚本による演劇を盛んに上演したものらしい。『美濃の山論』は、こばやしひろしの代表作『郡上の立百姓』を意識して書かれたという。
舞台上では、小学6年生による『浮世柄比翼稲妻』が、父兄を大いに湧かせた。続いて『仮名手本忠臣蔵五段目』と『ひらがな盛衰記』が演じられ、トリには地元企業が時代劇『瞼の母』を上演。社長以下、従業員の総配役による熱演ぶりで、夕闇迫る劇場の盛り上がりは最高潮に達した。
(以下略)
(文・写真/八甫谷邦明)
